兎は地球で床に就く

システムエンジニア予定の無職ニートブログ

不安

 こんばんは。InDexです。

 最近薄っすらと不安に思っていることがあります。

 それは『我が家には一体どれだけの家計的余裕があるのか』についてです。

 現在の家族の内訳を簡単に説明しましょう。私自身の整理も兼ねて。

 

・父親

 定年退職後、再雇用で労働継続中。

 再雇用後は友人と旅行、居酒屋に行くことが増え、定年前はほぼ行っていなかったパチンコに頻繁に出入りするようになった(もしかしたらパチンコは建前でもっと風俗的な店に行っている可能性もある)。

 再雇用後、パチンコやゴルフ、居酒屋等、出費は増えた。

 

・母親

 定年退職後、専業主婦として家庭のために動いている。

 母親自身の収入は0になり、本人はどこかでもう1度働きたいとは言っているが現状目途は立っていない。

 自分が職業訓練生として半分ニートみたいなものなので「働け」とは言えない状況。

 趣味と言えるものは特にないので出費は少ない。

 

・姉

 精神障害のため障害者支援施設に平日行っている。

 障害者年金で月8,9万(?)くらい貰っている。いつまで貰えるかは不透明。

 表には出さないものの、本人に働く意志は皆無に近い。自分は障害者なので他の人に経済的に依存しても外聞的には問題ない、と思っているのかもしれない(妄想)。

 趣味と言えるものもなく、ネットショッピングできるほどの行動力もないので出費は少ない。

 

・僕

 大学卒業後、僅か1年で仕事を辞め、現在は肩書を増やすために職業訓練校に通っている。

 収入は失業給付のみ。あと2日で初めての給付を受ける。何円なのか楽しみ。

 出費の頻度は少ないが、パソコン等、周辺機器を購入することがあるのでデカい時はデカい。趣味がほぼなく、物欲も大きいほどではないのでパソコンを抜けばそこまで出費は少ない……?

 居酒屋やバッティングセンター等の施設にも行くので意外とインドア派なのにアウトドアな出費が大きいかもしれない。

 本人に働く意欲はないが、ニートでいるわけにもいかないのでできるだけ年間休日の多い仕事を希望している。

 

 私の家の現状はこんな感じである。

 そして何が不安に思っているのかと言うと先ほども述べた通り家計的な余裕についてである。

 父親は定年退職し再雇用で働いているものの、退職前後で収入を比較すると半分以上収入が減少している。

 しかし収入は減少しているものの、休日が増え暇が増えたため出費も増えた。つまり収入が減少したのに出費が増えるという悲しい状況になっているのである。

 とはいえ、ここで父親にパチンコや友人との付き合いをやめろ、とは言えない。

 今まで長い間一家の大黒柱として働いてきたのである。定年後は仲間と一緒に遊び惚けるのも仕方のないことである。

 しかし我が家には悩ましい問題がある。

 それはニート生活に大義名分を持っている姉の存在である。

 姉は一生治ることのない精神障害を患っているため就職することが困難である。

 仮に就職できたとして、実家から自立ことはほぼ不可能である。それこそ両親が逝去し、私も死亡でもしない限りは家族に依存するだろう。

 そのためあまり私欲的に駆られて出費をするべきではないのだ。娘のことを思うのならば。

 

 まぁ、ここで手をこまねいていても仕方のない話である。

 直接父親に「今の家計の状況ってどうなん?」と聞けばいいだけの話である。

 しかしそう聞いたとして、果たして素直な返答が返ってくるであろうか。

 私の父は馬鹿ではない。加えて言うのならばそれなりの現実主義者である。

 そのため現在半ニートとして実家に依存している私からそんな問いが投げかけられたら、「急にどうこうなる話ではないが、先を考えると良くはない」と返答するのではないだろうか。

 「心配しなくても大丈夫。お前が気にする問題ではない」とは言わないだろう。

 なぜならそう言ってしまえば私は不安が解消され、もしかしたらニートになる可能性があるからだ。そうなってしまえば自らの老後は安泰とは言い難くなり、死の間際まで懸念点が残され死ぬのではないだろうか。

 そのため素直な回答は期待しない方がいい。

 ちなみにここで言う素直な回答とは、父親、母親、姉の収入状況を事細かに教えてもらうことである。

 私は以前、その辺を軽く聞いたものの教えてもらっていない。何か思うところがあるのだろうが、それはいい方にも悪い方にも回答が予測できてしまう。

 もし仮に、私が本気で働く意志を見せ、「いずれ姉をおんぶに抱っこしなければならないのは自分のため、次代の大黒柱として、長男として、今の状況を把握すべき責任がある」とでも言えば教えてくれるだろう。

 しかし私はそこまで家庭を背負えないし、背負うほどの覚悟もない。

 なぜなら私は家族にもそれほどの情がないからである。

 もちろん両親が逝去すれば悲嘆に暮れるだろう。

 しかし悲嘆に暮れるより先に湧き上がる感情は「この後どうすんの」、というニート的な発想である。

 両親が逝去したからと言って責任感が芽生えるわけでもなく、ただただ現実に押し潰されるだけである。

 

 以上のことから、私は”不安”なのである。

 背負うべき責任を負う覚悟もないため、いつまでも不安なのである。

 時間が解決してくれればいいな、と考えながら私は今も生きている。

 正直後半は考えるのが面倒になったので適当になった。

 

 というわけで皆々様。

 ここらで兎は床に就かせていただきます。

 メル・ゼナ討伐せんとなぁ