兎は地球で床に就く

システムエンジニア予定の無職ニートブログ

車輪の国、向日葵の少女感想

 こんばんは。InDexです。

 車輪の国をクリアしたので雑記です。

 

 まず、あかべえそふと2の作品はG線上の魔王のみプレイ済みです。

 G線上の魔王が良かったので車輪の国もやろうやろうと考えていたのですが、どうにも重い腰を上げられずにいました。

 そうして購入して数年……、ようやく着手しました。

 

 ヒロインの話からしましょうか。

 ヒロインはさち、灯花、夏咲(初見、とてもじゃないがなつみとは読めなかった)、璃々子の四人です。さらにここに、唯一樋口健を許さない存在として磯野がいるんですが、残念ながら磯野は攻略対象キャラではありません。尤も、一切の甘えを許さないキャラとして存在しているため、磯野を攻略してはいけないんですが。

 個人的なお気に入りは灯花ちゃんです。

 暗い髪色の二つ縛りって点が大好きなところですね。見た目もいいし、ドジっ子キャラも何とも愛らしいです。

 今まで人生の選択を他人に委ねてきたため決断力に欠けますが、どこまでも純粋な心根を捨てない無垢さが魅力的なキャラクターです。

 育ての母か、産みの父母か。どちらかを選ばずに両者を選んでしまうのが〝子供〟らしいですね。ですがそんな愚かな決断こそ、大人になるにつれ自然と捨ててしまっている心なんですよね。

 なんというか、土壇場で見せる人の強さ。それを灯花ちゃんは教えてくれます。

 

 次に、こりゃあ一本取られたわぁ!って展開ですね。

 まずさち√。さち√とは言っていますが、まなに関する話の方が多くなってしまいますね。

 一切の妥協を許さない厳しい指導者たるまなのおかげで、さちは由緒ある賞を受賞することができます。一度は離れたものの、もう一度再会することができたわけです。

 この、一度は離れてしまうって点がミソですね。あの展開なら、絵は完成してまなは外国に売られない、って思うじゃないですか。でも、絵は完成せず、さちの下にい続ける、そうしたハッピーエンドもあったはずです。

 けれど、そうした場合、さちはまた怠惰な暮らしに戻ってしまうかもしれません。一度まなと離れたからこそ、由緒ある賞を受賞するまでに大成できた、と言えるでしょう。だからこそ、必要な展開だったわけですね。

 さち√最後、成長したまなと再会するシーンは何とも涙を誘いますね……。

 

 次、灯花ルートです。

 折角作ったシチューをぶちまけられても尚、健気に新しいシチューをよそう灯花の姿が印象に残っています。

 何度台無しにされようとも、共に食卓につくため、話し合うために、何度もシチューをよそう姿、ここに車輪の国の諦めない気持ちが出ている気がします。

 何度踏みにじられようとも、何度も立ち上がる。一度は焼け野原と化した向日葵畑でも、七年の歳月がもう一度同じ景色を復活させたことと同様に、幾度辛い目に遭っても尚、人を信じ抜く強さが、灯花にはあったわけです。

 またそれは、人を許す強さとも繋がるわけです。

 

次、夏咲ルートです。

 夏咲ルートはやはり、法月に真っ向から対峙する夏咲の姿でしょうね。

 それまでおどおどと内気な面を見せていた夏咲が一転、賢一の手を繋いで愛の強さを見せつけるシーンです。

 あの笑顔は、ものすんごいカタルシスでしたね。

 

 次、璃々子ルートです。

 まあ、あれでしょう。今までプレイヤーに語り掛けてきたと思しき「あんた」の正体が、誰にも認識されない義務を課せられた璃々子だと判明するシーンです。

 私も最初は、何かしら伏線となっているんだろうな、とは思っていたんですが、度重なるヤクの常飲によりマジで精神を病んでるんだろうな、と思っていました。だから、きれーにきもちよーく騙されたわけです。しゅごい……。

 

 続けて璃々子ルートから、屋上から降ろされた向日葵の垂れ幕のシーンです。

 町民の中に鬱積していた現体制への不満、けれど一様に口を閉ざす中、燦然と煌き、目が離せない垂れ幕が下がったシーンです。

 なぜか、目を離せない正義の象徴たる向日葵の垂れ幕。私にとってそれは、町民の心の叫びを体現しているように思えました。

 車輪の国で一番泣けたのがこのシーンでした。

 不平不満を叫びたい世の中であっても、義務を課せられる恐怖から決して叫べない事実。それを代弁してくれる向日葵の垂れ幕が、非常に重く感じられました。

 

 続けて璃々子ルートから、法月の回し蹴りのシーンです。

 賢一を特別高等人として完成させるために、七年もの間欺いてきた不自由な足のシーンです。

 思考を予測するのではなく、思考を指定した。

 忘れることは無い、法月の名言ですね。悪役とはいえ、圧倒的で威厳のある、魅力的な悪役でした。G線上の魔王にも、浅井権三という魅力的かつ圧倒的な存在感を持った悪役がいましたね。さいこー!!!

 

 続けて璃々子ルートから、賢一が法月を上回るシーンです。

 賢一もまた、たった一つの油断を誘う為、ヤク中である演技をしていました。

 まぁ、正直これはやりすぎ感もあるというか、いまいち説得力に欠けるというか、穴のあり過ぎる活躍のさせ方なのであれですが、しっかりと権謀を張り巡らせていたってのは燃える展開ですね(ケンだけに)。

 

 続けて璃々子ルートから(○○ルートじゃなくて〇章って表記にすればよかったと今さら後悔)、璃々子を背負いながらの絶壁の登攀シーンです。

 これはもう、法月が常々口にしていた「精神が肉体を上回ることはない。精神は肉体に支配されている」のアンチテーゼですね。

 人の生きる意志が、悲鳴を上げる肉体に喝を入れ、もう一度力を取り戻すシーンです。

 法月将臣も、樋口三郎も成し遂げられなかった本当の人の強さ。逆境を意志の力で跳ねのける魂の煌き、それがここにはありました。

 私の解釈ですが、法月が真に渇望していたのは正にこれだったのではないでしょうか。

 あらゆる大切な人、物を失うことで完成する特別高等人だからこそ、人の強さを見せつける賢一に、期待をかけていたのではないでしょうか。

 真相は分かりませんが、ファンディスクで描かれるんですかね。どうなんですかね。

 

 とまぁ、こんな感じです。

 車輪の国、面白かったです。

 個人的にはG線上の魔王の方が好きですが、ファンディスクもやってみたくなりましたね。

 

 というわけで皆々様。

 ここらで兎は床に就かせていただきます。

 よーし!今日もびりっと頑張るぞー!!!

 

PS.灯花の「ぶっ殺すぞ!(舌ったらず)」が賢一にしか聞こえてないのって、マジでただのホラーだったの?

2月29日という空白

 こんばんは。InDexです。

 1カ月振りの記事更新です。愛、覚えていますか。

 

 というわけでここ一か月の振り返りを行っていきましょう。

 

未だ、ニート継続中

 去年の10月に仕事を辞めてから、今に至るまでずっとニートです。単発バイトとかも一切やっていません。

 一度だけハロワから貰った紹介状を握りしめて面接に行ったんですが、それっきりですね。

 その後、親には会社説明会に行ったという偽情報を掴ませ、面接に行くと嘘を吐いて遊園地で遊んだりしてました。なんというか、5chでよく見るような屑ニートっぷりですね。自分で書いて自分で戦々恐々としています。

 明日は会社説明会を覗こうと考えています。はい。

 

リライブシャツという存在

 知ってますか、リライブシャツ。令和の虎に出演した虎が紹介した商品なんですけど、着るだけで体の機能がアップする夢みたいな商品です。

 当然、虎たちは商品の効果について疑念を抱くんですが、着用するとあら不思議。本当に体の機能アップしてるやんけ、って感じになるわけです。

 私もそれを見て、「うっそだー!」と思いながらも、やらせ臭の少ないチャンネルなので私も着用したい欲に駆られました。

 そんな思いを内に秘めながら数か月。たまたま立ち寄ったショッピングセンターのテナントにあったんですよ。リライブシャツを販売する店舗が。

 早速レンタルして(一着500円)着て見たんですが、私にはよく分からず。

 父親に試着して貰うとあら不思議、目に見えて分かるくらいの効能が現れていました。

 これは本物だ!と思った私は瞬時にインナーとパンツを二着ずつ購入。

 ニートの私にとっては痛い出費でしたが必要経費というものです。

 現在進行形で着用しています。

 まぁ、25歳の私の肉体はそこまで衰えていないので効果は実感していないんですが。

 一番実感してるのは、なんだか食欲が増進された気がします。

 ニートの食欲を上げてどうすんねーん!!!

 

SSについて

 最近、他の作者さんへの嫉妬心がありえんほど膨らんでます。

 書かなければ書かないほど嫉妬心が膨らむんだから手が付けられません。

 ゴミカス過ぎる精神性に辟易としています。どうにかならんのかこのカスは。

 

車輪の国、向日葵の少女

 ようやく重い腰を上げ、車輪の国に着手し始めました。

 現在、さち√と灯花√が終わりました。

 さち√はまながヤバいですね。あの年齢(たぶん8歳くらい)にも関わらず、精神が強すぎます。色んな地獄を見ても尚、擦れずに純粋性を維持してて化け物じみてます。

 厳しい指導者とは、正にまなを表現する言葉ですね。

 つい、ここまでやったのなら、きっとさちも更生してギャンブルには一生手を染めないだろうし、絵が完成しなくてもお金を出してもいいじゃないか、という気になってしまいます。ですが、まなが許しません。自分の半分も生きていない少女が、一切の妥協を許さないのです。

 信じるという行為は、人に妥協を許さない厳しい姿勢なのだと思い知りました。

 灯花√は……展開がくっっっっっそ遅いのがストレスでした。

 今まで人に命令されたことしかやってこないのだから、決断力に欠け優柔不断ってキャラなのは分かります。ですが、ここまで書くか、って感じでした。

 とはいえだからこそ、ラストの何度手を跳ねのけられようと、シチューを掬う描写が生きるのだと思います。

 これもまた、妥協を許さない強固な姿勢なのだと思います。

 今まで育ててくれた母親と暮らすのか、父親と母親の揃った金銭的に不安のない家庭で暮らすのか。

 灯花は最後まで二者択一を選べず、親権を血の繋がった家族に渡し、育ての母親と生きることを決めます。何かを捨てられず、全てを掬おうとする生き方は苦労するのだろうが、そんな人間が好きという森田賢一の思い、それが良かった。

 とはいえ、演出の一つとはいえだらだらだらだらだらだらだらだらだらしてたのがマジでストレスでした。

 でも嫌いになれない√なのが本当にいやらしい。くそっ、くそぉ!!!

 

うるう年、という日

 今日は2月29日。普段なら28日で終わる2月なのに、1日だけ多いです。

 特別な日、ですが、まぁ、うん。そういうこと。

 蓮ノ空の2月のFES×LIVEがこの日だったよ、って感じ。

 

 というわけで皆々様。

 ここらで兎は床に就かせていただきます。

 灯花√のえっちCG回収しやす。

みんな地獄

 こんばんは。Indexです。

 こう、色んな場面で思うことが一つあって、それが

「みんなにはそれぞれの地獄がある」

 ってことなんですよ。唐突に何言ってんだコイツ、って感じですがまぁ、語ります。

 

 誰の心の声を一番聞いていますか?って言われれば、そりゃ自分って答えますよね。だって心の声を聞けるのは自分しかいないんですから。候補が上がらなくて当然なわけです。

 で、自分の心を聞き続けている人らは思うわけです。

「はー、つれぇなぁ」

 って。常に思ってるとかではなく、ふとした一瞬に思うわけです。ゴミ袋を持ちながら、収集車が去る姿を見たりとか。自動車免許の本免に落ちたりだとか。頑張ってるのに仕事で上手くいかなかったりとか。

 そんな時に思うわけです。

 私はこうした日々の日常を過ごし、少しずーつ積もっていく不幸を総体として「地獄」と呼んでいます。

 この地獄は割と汎用性がありまして、この地獄によって生じる心の動きもまた地獄なんですよ。分かりにくいんで例を出します。

 

 たとえば私。今は絶賛ニートなので自己肯定感が著しく低いです。

 そんなニートが華々しく人生を謳歌する同級生の近況とか聞いたらどうなるでしょうか。答えは簡単ですね。死にたくなるわけです。

 これは単に、同級生と自分を比べたことで生じる不幸、とも取れるんですが、ちょっと大局的な視点で見ると地獄なんです(地獄という広義の中に、不幸っていう狭義があるのが私の世界観です)。

 私の今までの人生で浮いた話なんか当然ありませんし、才能が花開くだけの懸命な努力もしてきませんでしたし、顔はブサイクだし肢体は短く太いです。そうした総体があって、今の私の価値観が形成されています。

 その私の価値観に照らし合わせると、幸せそうな人を見たら妬ましい感情に支配されるわけです。

 なので、他人と比べたことによって劣等感が生まれた。単体で見ればこれは不幸です。

 ですがその不幸は、今までの私の積み重ね、人生があったからこそ不幸になった地獄なんです。

 地獄より不幸は生まれ出ずるんですねぇ。

 こうした生きる上で枷にしかならない価値観を、私は地獄と呼んでるのかもしれないですねぇ。

 

 ではでは。なんで私が本日、こんな話をしようかと思い立ったのはですね、とある動画を見たからです。

 その動画は、せーはす!っていう声優たちのバラエティ番組(?)なんですが、そのワンシーンにこんなのがあったんです。

「あなたの世界に私はいないんです」

 これに私は痛く共感しましてね、ですが一方で一切の親近感が湧かなかったんですよ。これに思ったわけです。この人も地獄だし、私も地獄だなぁって。

 上記の台詞が出た経緯なんですけど、端的に言えば推しと一緒に写真を撮った時の気持ちです。

 たぶん、推しが目の前にいた時の反応って二つに分けられると思うんです。

 現実味があるのと、現実味がないの二つです。

 前者は「推しがいる!一緒に写真撮りたい!」みたいな前向きというか、明るめのテンションで近づくパターンですね。

 後者は「ほんとにこの世に存在したんだ……」みたいな、神聖視とか神格化とか、手の届かない存在として捉えてるパターンです。

 上記の台詞は後者の心の動き故に出た言葉だと思うんですが、じゃあなんでこれが地獄なん?って疑問になると思います。

 それは、後者の心の動きが卑屈さ故だからです。

 推しとは、自分と比べて輝かしく、比べるまでもない圧倒的な上位の存在です。嫉妬ではなく魅了されて推しになったパターンです(嫉妬の場合は推しではなく憎しみが向けられます)。

 その時、自分と推しを比較してるんですね。この人は凄い。自分は凄くない。手が届かなくて、同じ現実に存在するんだろうけど、住む世界が違う。そんな感じ。

 住む世界が違うって、ちょっと面白い言葉ですよね。地球には確かにいるのに、同じ世界にいないって。

 で、またになりますが、なんでこの発言をした人に地獄だと思ったか、ですね。

 この発言をした人、うい様はですね、容姿はいいし声質もいい。芸術への造詣も深いし上品かつお淑やか。育ちもいいお嬢さまなんですよ。

 この時点で私が勝てるところなんてないんですけど、そんな自分にとっての殿上人でも、同じような所感を抱くんだなぁと思いました。

 

 私はアレです。推しが目の前にいたら写真には収めるかもしれませんが、ツーショットは撮らない人間です。自分という劣等種がそこに収められてしまえば世界観が崩壊するからです。もっと簡単に言えば、自分はあなたに相応しくない。それに限ります。欠如した自己肯定感故にそんな結論に至るんでしょうね。

 尤も、うい様と私では結論に至る筋書きが違うんでしょうが、発言自体には共感しました。これだけ才能に恵まれた人でも、卑屈故の発言をするんだなぁ、地獄だなぁ、って思いました。

 とはいえ、家柄も才能も恵まれ、努力がきちんと結実する人生を歩んできた人に親近感が沸くわけもなく、私は一人深海の海に沈んでいくわけです。

 共感すれど、逆に距離感を覚えたような気さえします。

 

 自己肯定感が低い人は、推しに共感しない方がいいのかもしれませんね。余計に距離が開いて自身の惨めさを直視せざるを得なくなるし。

 推しはずっとずっと遠くの方で私のことなんて一切気にも留めず、ただひたすらに魅了し続けて欲しい。そんな一方的な関係でいいんでしょう。

 なんか適当なことを書き散らしました。推敲とか文章とかは全て場当たり的で全然練られてません。

 2024年に書いた文章の中で一番意味のない記事かもしれない。半年後くらいに読み直して、自分自身に共感できるのかな。理解できないかも。なんて。

 

 というわけで皆々様。

 兎は床に就かせていただきます。

 はー、つら。

情緒が狂う

 こんばんは。Indexです。

 どうでもいいですが、ほんとはIndexじゃなくてInDexなんですよね。ほんと、どうでもいいんですが。

 

 本日は情緒が狂う話をしていきます。

 昨日、蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブの活動報告第15話が更新されました。

 まぁ、それが情緒を狂わせるとんでもない劇薬だったわけです。今尚深い傷を私の中に刻んでいます。

 良薬は口に苦し、と言いますが、度が過ぎた良薬は毒薬になるんだなぁ、と感じたものです。

 加えて、どうやら私は情緒が不安定な性格をしているらしく、それも相まって今めちゃくちゃ不安定です。意味もなく焦って不安になります。泰然自若に構えて物事に励みたいんですがそうもいかないみたいです。どうすりゃいいんでしょうね、これ。

 精神科か心療内科にでも行けばいいんでしょうけど、予約をしても行けるのが一カ月後とかいう事実。遠すぎてやる気がまぁ削がれる削がれる。加えて言えば、両親が私の不安定さを理解していないことです。

 この前、一大決心をして精神科に準じるところに行きたい、と申したところ、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてました。昨晩に至っては、そろそろ心の傷も癒えたころだろう、って笑いながら言われました。物理的な傷と同様に、心の傷も時間経過で自然治癒すると思っているんでしょうか。失望というか、残念でなりませんでした。

 そんなこんなあって、二週間に三日か四日、それ以上くらい、割と不定期かつ頻繁に情緒が不安定な時期が来ます。どうにかしたいけど、解決する手段を取って両親などに白眼視されるのが辛いです。理解してくれる人が近くにいないって辛いんですね。

 

 よく自己肯定感を上げるのに他人を使うのはやめろ、みたいな論調ありますよね。こう、評価を他人依存にすると常に周りの顔色を窺う人間になるぞ、みたいな。実際言っている意味は分かりますし納得もします。自分で自分を100%肯定できる人って強いんだろうなぁ、とは思います。けれど、どう足掻いたって肯定できない自分もいます。

 だって、今の自分は短期離職を繰り返したニートですし。能力も一般的な人と比べて低いですし。自分で自分を認めることなんてできようもありません。だから他者の評価に依存するのもさもありなん、って感じです。

 だから、なんですかね。文脈的に言うのであれば自分の価値を自分で評価・見定めることができるようになればいいんでしょう。どうすんね~~~ん。そんなん無理やろ~~~。

 私が二次創作する理由もそれに近いものがあるんだろうなぁ……。他者の作品を借りて承認欲求、自己肯定感を上げるって情けなすぎて泣けてくる。

 

 くらーい話が2024年初めての記事です。くらいくらいくらいどんくらい!

 

 というわけで皆々様。

 ここらで兎は床に就かせていただきます。

 すやぴっぴ。

2023年を振り返り

 こんばんは。Indexです。

 本日は23年を軽く振り返っていきます。

 

再就職 → 短期離職の年

 今年はシステムエンジニアになるべく第二新卒で就職した会社を辞めた年です。それ以上でも以下でもありません。

 身の程を知ったので誰にでもできる仕事をしようかな、なんて思ってる感じです。

 

SSも書いてるよ!

 去年の11月くらいから書き始め、1年ちょっと経過しました。

 少しずつ書き慣れてきましたが、数か月間絶筆していた時期もあったので色々と中途半端な感じです。

 今は蓮ノ空のR18SSを書いてます。SS、ショートストーリーだけど普通に10万文字超えてます。こんなに書く予定じゃなかったのに……。でも物語も佳境です。もう少し頑張れば終わりまで書ける……はず。うん。

 来年は吸血鬼こずかほのSSを書けたらいいなぁ、と思います。

 それにしても、大晦日にR18SSを書くってなかなかに極まってますね。何が、とは言いませんが。

 

抱負

 24年の抱負。一先ず働くことですかね。ここ2年あまりは本業以外にお金を稼ぐ方法を考える、とか言ってましたがそんなことは望みません。

 完全週休二日かつ、夏季休暇や年末年始の休暇が欲しいです。残業はできるだけ短く。何なら絶無でいいです。薄給でもいいのでとにかく一人の時間が欲しいです。

 そもそも、一週間の半分以上働いてるって方が不健全なんです。頭がおかしい。

 人は仕事をするために生きているんじゃない。自分のために生きているんです。

 自己実現を発揮するために仕事をする?

 能力の低い人間は自己実現なんて高尚なものを望んでないんです。少なくとも私は。

 なんでまあ、薄給でもいいので自分の望む就業場所で働きたいです。ただそれだけ。

 

虹ヶ咲と蓮ノ空

 なんやかんや。趣味が少しだけ深く、そして広がった一年だったと思います。

 虹ヶ咲は引き続き好きですし、蓮ノ空にも出会えました。

 蓮ノ空は第14話のユニット合体の流れが不安ですが、こずかほは永遠なので推していけますね。

 虹ヶ咲はなんだかんだ魂の拠り所的な立ち位置なので覆ることは無さそうです。ゆうぽむこそ至高。他に目移りすることはあれど、ゆうぽむが一番なのには変わりない。なんだこれ、浮気性の言い訳か?

 さて、蓮ノ空はいずれアニメ化するでしょうし、来年は梢先輩たち現二年生の卒業です。

 ……ヤバいな。今二年生の卒業を考えたらゾクっとした。マジか、マジかマジか。そうなのか……。ヤバいな。喪失、だな。ヤバい、ねぃ……。

 卒業した後、アニメ化した蓮ノ空を見たら頭がおかしくなりそう。大切な人が死んだ後、その人を追体験するみたいな妙を感じる……。んへぇあ……。

 次に、虹ヶ咲は劇場三部作が始まります。これで恐らく虹ヶ咲はコンテンツ的に終了でしょう。

 コンテンツの終焉。遂に来てしまうか……。前から危惧していることですが、いずれ来る永訣の時……。今の内から肚を決め、覚悟しておくべきでしょう。

 

 

 さぁてね、24年はどんな年になるのかな。

 絵とかちょっとでも描けるようになってないかなぁ。

 

 というわけで皆々様。

 ここらで兎は床に就かせていただきます。

 ギリギリ23年で書き終えられた。

ゴミみたいな日

 こんばんは。Indexです。

 本日はゴミみたいな日の記録を残していきます。

 

 久々の記事更新なので私のあらましを説明してきましょう。

 

・25歳無職ニート(空白期間1カ月)

・趣味はたまに書くラブライブのSS

・面倒くさがり屋かつ臆病かつ能力の低い無能

・一応大卒

・若ハゲを患い、短足かつ顔面崩壊

 

 こんな感じです。一言で言えばまあ、大卒の無能、と表現した方がいいでしょう。

 短期記憶に致命的な欠陥があるので言われたことをすぐに忘れます。また、脳の回転も悪いので計算や文章問題に弱い特徴を持っています。

 こういった自らの弱点を、私は二度の退職で身をもって自覚しました。

 だから、身の程を弁えました。自分に頭脳労働は向いていないし、長時間労働も心を病むのでできない。

 だから、極力頭を使わず、極力残業しない会社を目指そうと考えました。自らの能力を最低まで見積もると楽になれるものです。

 アニメ的なたとえで申し訳ないんですが、進撃の巨人ジークが言っていたことを思い出します。

 

『案外…事切れる前はほっとするのかもな。何の意味があるのかもわからず、ただ増えるためだけに、踊らされる日々を終えて…』

 

 生きることは苦しむこと。苦しみ続ける中に意味を見出す。これが人生、とニーチェは言いました。

 けれど、生の苦悩を抱え続け、それで折れてしまう人がどれだけいるでしょう。

 私の人生には意味なんてない。幸福に生きよ、とウィトゲンシュタインは言いますが、そこに辿り着くまでの道程が遥かに長く、距離の正確な数字が分かりません。

 というかそもそも、幸福に生きられる可能性なんてどこにあるんでしょう。

 今の世の中はどんどん複雑な方向に舵を取っています。

 労働集約的な仕事は機械に取って代わられますが、その機械を制御するのは人間です。人間はその機械の操り方を覚えねばなりません。そしてそれは、多くの前提をクリアせねばなりません。

 たとえば、昨今話題になっているチャットGPT。AIの使い方を知らねば使うことすら覚束ない代物です。さらに言えば、それを扱うパソコン、もしくはスマホ。これらを過不足なく扱えること、これが仕事をする上での最低基準になっていきます。

 つまるところ、仕事の最低基準がどんどん上がり、仕事の難易度自体が非常に高くなっていることを意味しています。

 だから、仕方のないことなんです。私という能力に不安のある人間が社会から零れ落ちることは。落伍者と早々に見切りをつけることも仕方のないことなんです。

 なぜなら、私は無能だから。以前勤めていた研修の時、5,60人くらいいる人の中で私が一番無能でした。その時、気付いたのです。私は人より劣っているのだと。

 今まで幾度かその片鱗は味わってきました。

 たとえば、定期テストでは点数が取れる、でも学力テストではまるで歯が立たない。

 たとえば、パワプロウマ娘などの育成ゲームの仕組みが理解できない。

 たとえば、ボードゲーム、オセロなどの戦術ゲームが酷く弱い(将棋、囲碁はそもそもルールが理解できない)。

 それらの思い当たる節が一挙に押し寄せ、私は無能なのだと自覚しました。

 無能、というと些か広義すぎますかね。

 地頭が悪い。これが最もしっくり来る表現でしょう。

 

 まあ、ここまで長々と語ってきましたが、身の程を知ったというわけです。

 だから、無能にもできる仕事を探そう、と再出発を決めようと考えました。

 そして最近、近くの商業施設で合同説明会が催されていました。それに赴き、気に入った企業がありました。

 休日、残業時間、通勤距離、それらが許容範囲だったからです。それに、仕事内容もそう難しく思えませんでした。

 だからその後、ハロワに赴き紹介状を受け取りに行きました。

 そして今日、その会社に面接に行きました。手応えは正直悪かったですが、ここは本題ではありません。

 問題は帰った後、私が虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の最新情報配信を見ている時に発生しました。

 父親が部屋に入ってきました。酒が入っているので赤ら顔です。彼は私が受けた会社が気に入らないようで色々と言ってきました。

 短期記憶に欠陥のある私が何とか覚えている範囲で書きだします。

 

・勉強してちゃんとしたところに就職しろ

・ここまで育てたのは短期離職をさせるためじゃない

・そんなところに就職するなんて情けない

・向上心をもっと持て

・みんな苦しんでる、だから頑張れ

 

 たぶん、こんな感じだったと思います。特に私の心にくさびのように打ち込まれたのが、

 

・働きたくないなんて言うな

 

 です。私とて、愚痴の一つとして零しただけです。ネットに一言呟くような、単なる愚痴の一種。

 なのに、禁止を強要してくるんです。これはもう、愚痴の一切を言うな、と言われている気分でした。

 ちなみにその後言われたのは、「一生働かないで生きていくつもりか?」とかそんな台詞です。そんなこと一言も言っていないのに。というか、働くために今日面接を受けてきたばかりなのに。

 

 私は就活をしています。ハロワに行って紹介状を受け取り、会社に行って面接もしてきました。なのに、どうして情けないだの向上心を持てだの言われなきゃならないのでしょうか。

 私は身の程を知ったんです。自分は出来損ないと自覚し、社会から零れ落ちた落伍者なのだと刻んだんです。だから、身の丈に合う会社を選んだつもりです。

 それがなぜ、だめなのでしょうか。

 父親には以前、私が会社を辞めた後、赤裸々に心境を吐露したことがあります。今から一カ月もしない時です。

 自分はどうやら能力が低いらしい、と。メンタルだって弱いし、平気な顔で8時間労働している人たちが同じ人間と思えない、と。

 普段愚痴や弱音を吐かない(胸襟を開いて話をすることができず溜め込んでしまう)私にとってそれは、未だ越えられない壁として君臨する父親にそれを言うのは、非常に勇気がいりました。

 けれど、どうやら響いていなかったようです。

 父親には父親の信ずる正義があるらしく、私の事情など一切鑑みてくれないそうです。

 まあでも、父親の気持ちも分かります。

 私は長男であり、長女である姉は知的障害を患っています。だから一層、健常者である(実際は発達障害かもしれないが)私に期待を寄せているのでしょう。いや、期待せざるを得ない、と表現した方が正しいと思います。

 父親にとっても、今まで生きてきた人生で産んだ我が子がこんな出来損ないとは思いたくないのでしょう。だから発破をかける。だから期待をする。

 そんなの、重荷になるだけなのに。その辺を彼は理解していません。

 家族は一番の味方です。けれど、一番の敵にも転化し得るのでしょう。

 実家が息苦しいです。生き苦しいと言ってもいいかもしれません。いい予測変換ですねこれ。

 

 さてまあ、正直今回受けた会社は十中八九落ちていると思います。面接の中でこういう質問をされました。

「今後の展望はありますか」

 それに私は上手く応えられませんでした。というか、分かりません、とすら答えました。長く働いて欲しい彼らにとって、私は地雷原でしかありません。というか、私なら取りません。

 正直、甘く見ていた感じはありました。これくらい小さな規模の町工場なら、自分でも余裕で入社できるだろう、と高を括っていました。

 短期離職を繰り返して経歴がボロボロの自分は既に、不良物件なのだと、その時ようやく理解しました。

 

 これから、どうしましょうね。

 短期バイトで適当にやっていきましょうか。

 はあ、もう、どうしようもない。ほんと。

 

 私にできる反抗はこれくらいしかありません。

 ネットの海に愚痴を連ねて放流するだけ。

 まあ、ネガティブな感情は胸にため込むだけじゃなく、こうしてアウトプットした方がいいらしいですからね。

 尤も、文章よりも筆記とか口頭の方が効果はあるらしいですが。

 はい。そんな感じです。

 

 というわけで皆々様。

 兎はここらで床に就かせていただきます。

 ちょっとポケモンして寝ます。

実家という面倒くさい世界

 こんばんは。Indexです。

 本日は面倒くさい話です。

 

 さて、辛い辛い仕事を辞め無事にニートと化した私は実家に出戻りました。

 実家のニートの扱いはと言うと……今のところは別に問題は起きていません。

「働けクソニート!」

 と足蹴にされることも無く、流れ星を見たぞ!と興奮する父親に「お前が早く就職できるように祈っておいたからな!」と悪意無きプレッシャーがあった程度です。

 それに、再三言われるまでもなく、自分自身を責め続ける自己肯定感の薄い人間なのでプレッシャーを掛けられても余計に辛くなるだけです。

 こういう、今のままじゃだめだけど、今を変えようと努力しようとすると辛い人っていっぱいいるんでしょうね。私もそんな有象無象、十把一絡げな群衆の一人です。

 

 今回はそんな自己肯定感の薄いし低い人間の実家での面倒くさい話です。主に人間関係の面倒くささであり、解決することは不可能な議題です。

 ちなみに、人間関係を根底から丸っと解決する手段はたった一つしかありません。

 それは一人で暮らすことです。コミュニケーションツールを使わず、誰とも繋がらず、孤独に生き続けること。私的にはこれしか思いつきません。はい。

 

祖母の怒涛の人生

 私の祖母から先日、過去の話をされました。

 祖母は私くらい歳の頃、26歳の時に最愛の人を失ったそうです。

 祖母と最愛の人、Aさんは婚約の約束もしていたらしく、G県のT市に一軒家を購入したそうです。祖母は先にその一軒家に移り、Aさんは仕事を終えた後に移る算段だったそうですが、そこまでの道中、山越えに失敗してAさんは滑落して死んでしまったそうです。

 山での死人はその場で荼毘に付されるらしく、次に祖母がAさんと会ったのは、骨だけとなった遺体だったそうです。

 祖母はその後発狂、そして肺結核を患い、陰鬱な日々を送っていたそうです。そんな状況を親類は見かね、都心よりも落ち着くであろう地方への移住を薦めたそうです。その地方が現在の私が住んでいる実家であり、祖母も今に至るまで住んでいます。

 平たく言ってしまえば、最愛の人を否が応でも思い出してしまう都心は耐えられず、地方に逃げて来たということになるんでしょうか。

 それから祖母は祖父(既に逝去)と結婚し、私の父親を産んだというわけです。

 それを聴いて、人には歴史があるんだなあ、と思ったものです。だが話はそれで終わらず、どうやらその話は私の父親、叔母にも話していないとのことです。この話を知っているのは私を含め残り数人だけだそうで、とんでもない爆弾を渡されてしまった、と驚愕したものです。

 

母と祖母の確執

 私の母と祖母は仲が大変悪いです。嫁と姑とは今さら論じるまでも無く不仲の代名詞ですが、私の家でもそれは変わりません。

 つい先ほども、祖母の秘密の話について言及され、私は言葉を濁しました。その点について、母は祖母のこんな悪いことされたのよエピソードを聞かされ辟易としてしまいました。

 私に母と姑の喧嘩に巻き込まないで欲しい……。私は祖母に対して悪感情を持っていませんし、母に対しても同様です。なんだってこう、人間関係というものは面倒くさいんだ……。

 

父親の本当の父親とは

 さて、ここまで話をしてきましたが、私は祖母の話を聞いた後に疑問が一つ浮上しました。その疑問の前に、父親には二人の妹がいます。私から見れば叔母ですね。

 叔母と父親は十以上歳が離れています。これまでの私はそういうものなんだ、という風に受け取っていましたが、今回の話を聞かされた後ではとある疑問が沸いてくるんです。

 叔母と父親の歳が十以上離れているのは、父親と叔母は父親違いなのではないか、という疑問です。

 つまり、祖母と最愛の人の間に生まれたのが私の父親であり、祖母と祖父(既に逝去)の間に生まれたのが叔母の二人なのではないか、という疑問です。

 まさかそんな、という気持ちでいっぱいなのですが、考えれば考えるほどこの説は濃厚になっていくのです。

 というのも、祖母が最愛の人と悲劇的な別れ方をしたのは26歳の頃らしいのです。そして今の祖母の年齢は86歳。私の父親の年齢は62歳。つまり、祖母は24歳の時に父親を産んでいるのです。

 祖母が祖父(既に逝去)と結婚したのが26歳以降と考えると、祖父と父親の間に血縁関係がないと考えるのが普通でしょう。

 とはいえ、祖母が言った26歳の時に最愛の人を失った、これが記憶違いであればまだ分かります。それならまだ辻褄が合うんです。もっと早く……それこそ22歳の頃とか、その辺なら分かるんです。うん……。

 でもなあ、父親と祖父の間に血縁関係が無いのであれば、色々と繋がるものがあるのも確かなんですよねえ。なんというか、祖父と父親ってあんまり似てないんですよ。顔も、手足も。父親と私ってかなり筋肉質なんですよ。元々ガッチリっていうか、言ってみれば太ましい肉体なんです。しかし、祖父って割とひょろっちくてなまっちろい肉体だったんですよ。とても筋肉質とは言い難い、そんな身体的特徴です。だから不思議だなあとは思っていたんですが、私の考える説が正しければ頷ける話です。

 真相は何なのか。祖母に直接問い質せば一発で分かる話なんですが、それも聞き辛い。

 なぜなら、祖母って自分の身の上の話をした時、途中で会話を打ち切ってるんですよ。未だに最愛の人を引きずっているのか、会話の途中で感極まって「出て行って!」と私を部屋から追い出しているんです。

 そんな祖母に対しもう一度、あの話を聞くことなんてできません。でも、気になるんですよねえ。老い先短い身空でしょうし、話を聞ける機会も残り僅か……。

 そう考えると今聞くのがいいのか……。まあ、同じ家に住んでいる以上、いつかタイミングは来るでしょう。多分恐らくきっと。

 

 まあ、父親と祖父に血縁関係が無かったところで、単純に私がスッキリするだけなんですけどね。それ以上でもそれ以下でもない。

 

 

 というわけで皆々様。

 ここらで兎は床に就かせていただきます。

 さらばっ。