こんばんは。Indexです。
こう、色んな場面で思うことが一つあって、それが
「みんなにはそれぞれの地獄がある」
ってことなんですよ。唐突に何言ってんだコイツ、って感じですがまぁ、語ります。
誰の心の声を一番聞いていますか?って言われれば、そりゃ自分って答えますよね。だって心の声を聞けるのは自分しかいないんですから。候補が上がらなくて当然なわけです。
で、自分の心を聞き続けている人らは思うわけです。
「はー、つれぇなぁ」
って。常に思ってるとかではなく、ふとした一瞬に思うわけです。ゴミ袋を持ちながら、収集車が去る姿を見たりとか。自動車免許の本免に落ちたりだとか。頑張ってるのに仕事で上手くいかなかったりとか。
そんな時に思うわけです。
私はこうした日々の日常を過ごし、少しずーつ積もっていく不幸を総体として「地獄」と呼んでいます。
この地獄は割と汎用性がありまして、この地獄によって生じる心の動きもまた地獄なんですよ。分かりにくいんで例を出します。
たとえば私。今は絶賛ニートなので自己肯定感が著しく低いです。
そんなニートが華々しく人生を謳歌する同級生の近況とか聞いたらどうなるでしょうか。答えは簡単ですね。死にたくなるわけです。
これは単に、同級生と自分を比べたことで生じる不幸、とも取れるんですが、ちょっと大局的な視点で見ると地獄なんです(地獄という広義の中に、不幸っていう狭義があるのが私の世界観です)。
私の今までの人生で浮いた話なんか当然ありませんし、才能が花開くだけの懸命な努力もしてきませんでしたし、顔はブサイクだし肢体は短く太いです。そうした総体があって、今の私の価値観が形成されています。
その私の価値観に照らし合わせると、幸せそうな人を見たら妬ましい感情に支配されるわけです。
なので、他人と比べたことによって劣等感が生まれた。単体で見ればこれは不幸です。
ですがその不幸は、今までの私の積み重ね、人生があったからこそ不幸になった地獄なんです。
地獄より不幸は生まれ出ずるんですねぇ。
こうした生きる上で枷にしかならない価値観を、私は地獄と呼んでるのかもしれないですねぇ。
ではでは。なんで私が本日、こんな話をしようかと思い立ったのはですね、とある動画を見たからです。
その動画は、せーはす!っていう声優たちのバラエティ番組(?)なんですが、そのワンシーンにこんなのがあったんです。
「あなたの世界に私はいないんです」
これに私は痛く共感しましてね、ですが一方で一切の親近感が湧かなかったんですよ。これに思ったわけです。この人も地獄だし、私も地獄だなぁって。
上記の台詞が出た経緯なんですけど、端的に言えば推しと一緒に写真を撮った時の気持ちです。
たぶん、推しが目の前にいた時の反応って二つに分けられると思うんです。
現実味があるのと、現実味がないの二つです。
前者は「推しがいる!一緒に写真撮りたい!」みたいな前向きというか、明るめのテンションで近づくパターンですね。
後者は「ほんとにこの世に存在したんだ……」みたいな、神聖視とか神格化とか、手の届かない存在として捉えてるパターンです。
上記の台詞は後者の心の動き故に出た言葉だと思うんですが、じゃあなんでこれが地獄なん?って疑問になると思います。
それは、後者の心の動きが卑屈さ故だからです。
推しとは、自分と比べて輝かしく、比べるまでもない圧倒的な上位の存在です。嫉妬ではなく魅了されて推しになったパターンです(嫉妬の場合は推しではなく憎しみが向けられます)。
その時、自分と推しを比較してるんですね。この人は凄い。自分は凄くない。手が届かなくて、同じ現実に存在するんだろうけど、住む世界が違う。そんな感じ。
住む世界が違うって、ちょっと面白い言葉ですよね。地球には確かにいるのに、同じ世界にいないって。
で、またになりますが、なんでこの発言をした人に地獄だと思ったか、ですね。
この発言をした人、うい様はですね、容姿はいいし声質もいい。芸術への造詣も深いし上品かつお淑やか。育ちもいいお嬢さまなんですよ。
この時点で私が勝てるところなんてないんですけど、そんな自分にとっての殿上人でも、同じような所感を抱くんだなぁと思いました。
私はアレです。推しが目の前にいたら写真には収めるかもしれませんが、ツーショットは撮らない人間です。自分という劣等種がそこに収められてしまえば世界観が崩壊するからです。もっと簡単に言えば、自分はあなたに相応しくない。それに限ります。欠如した自己肯定感故にそんな結論に至るんでしょうね。
尤も、うい様と私では結論に至る筋書きが違うんでしょうが、発言自体には共感しました。これだけ才能に恵まれた人でも、卑屈故の発言をするんだなぁ、地獄だなぁ、って思いました。
とはいえ、家柄も才能も恵まれ、努力がきちんと結実する人生を歩んできた人に親近感が沸くわけもなく、私は一人深海の海に沈んでいくわけです。
共感すれど、逆に距離感を覚えたような気さえします。
自己肯定感が低い人は、推しに共感しない方がいいのかもしれませんね。余計に距離が開いて自身の惨めさを直視せざるを得なくなるし。
推しはずっとずっと遠くの方で私のことなんて一切気にも留めず、ただひたすらに魅了し続けて欲しい。そんな一方的な関係でいいんでしょう。
なんか適当なことを書き散らしました。推敲とか文章とかは全て場当たり的で全然練られてません。
2024年に書いた文章の中で一番意味のない記事かもしれない。半年後くらいに読み直して、自分自身に共感できるのかな。理解できないかも。なんて。
というわけで皆々様。
兎は床に就かせていただきます。
はー、つら。