兎は地球で床に就く

システムエンジニア予定の無職ニートブログ

研修、完

 こんばんは。Indexです。

 研修が終わったことについて語っていきます。

 

 始まりは4月3日。1日と2日は土日だったので微妙に遅れてのスタート。そこから長いようで短い地獄の研修が始まった。

 

地獄の1か月目

 1か月目は精神の根本からへし折られる体験をした。

 私は研修当初、舐めた思いを持っていた。曰く、プログラミング?HTML/CSSできるし適性はあるっしょwという舐め腐った思い。

 だが、私の前に立ちはだかったのはプログラミング……ではなく、まずフローチャートだった。その後、予定調和のようにプログラミングに躓いた。

 私の自己肯定感は地に落ち、4月より前に通っていた職業訓練校の自信など霧のように消えた。

 自分に、プログラミング及びフローチャートアルゴリズムの才能は備わっていなかったんだ。そう、まざまざと見せつけられる。

 1か月目の終盤では、一人一つシステムをプログラミングするという課題を与えられた。プログラミングの『プ』の字も理解していない私は、講師の方々に頼った。頼り切った。

 その時言われた台詞の中で最も記憶に残っているのは、『○○くん。君、相当だよ?』である。

 嗚呼、私は相当なのだ、才能、適性の無さはここで確定した。

 

地獄の2か月目

 2か月目は低空飛空し始めた私の精神を伴った地獄だった。

 だが、1カ月と3か月と比べれば地獄の中でも優しかった。なぜなら、矜持は既に地に落ちていたからだ。

 理想の自分と実際の自分との間に開いたギャップに悩まなくても良かったのだ。自分は出来損ない。それを周りにも教えたおかげで随分と楽になった。

 自ら無能であることを白状して生きる生活は、惨めだが心に余裕と逃げ場が生まれた。

 自分は出来損ない。だからできなくてもいい。そんな弱者の逃げ場。

 加えて言えば、2か月目は集団制作だったことも心に余裕が生まれた理由だろう。

 私の属した班には自分よりも有能で多弁な人が多くいた。無能の自分は、有能な方々に寄っかかればそれでよかったのだ。

 寄る辺のあることのなんという頼もしさか。

 2か月目。私はプログラミングの殆どを有能な人に任せて無為な時間を過ごした。

 とはいえ、有能な方でも梃子摺る箇所があったため、『有能ならさっさと解決しろよ』という屑な思考回路が頭を回った。勿論、口には出さない。

 言ってしまえば、本物になってしまう。

 

地獄の3か月目

 3か月目は最も辛い地獄だった。

 2か月目は有能な方と人員そのものが多かったおかげで心にゆとりが持てた。だが、3か月目はどちらも不足していた。有能な人、人員そのもの。

 性根が屑でプログラミングがからっきしの私がリーダーになったのだ。これだけでも『相当な』グループであることは伝わるだろう。

 私の班は3か月目開始早々壁にぶち当たった。リーダーである私に解決できるわけもなく、三度の飯抜きよりも嫌な残業ラッシュが始まった。

 残業。次の日も残業。その次の日も。

 残業を重ねるごとに、私の中から残業への嫌悪感が減っていく。

 あれだけ嫌だ、嫌だと思っていたのに。

 答えは簡単だ。適応したのだ。残業ラッシュの日々に。適応とは、諦めに似ている。欲しても手に入らない物は、諦めるしかない。多少の未練を残しながらも、仕方がないと諦められる。

 妥協、諦観。一抹の残業への嫌悪。

 だが、地獄だったのは何も残業だけではない。リーダーという役職自体が私に重くのしかかった。

 班のメンバーが発言しないため、渋々指揮を取ってどうにか舵を取ろうとする。だが、冬眠中の熊のようにおとなしかった班の面子が牙を剥く。全身全霊で私を否定しようと食って掛かるのだ。

 とはいえ、理解はできる。リーダーの適性もない、プログラミングの適性もない。そんな私の意見が正しいはずがない。

 そうして仕方がない、仕方がない、と自分を責める度に心は摩耗した。

 それでは、私に頼らずにさっさと自分らだけで決めて欲しい。閉じこもりたかったが、そんな場所は無かった。

 班員から否定され、プログラミングに苦慮し、残業で自由時間が減る。

 そんな日々が、6月30日に終わった。

 思ったより、解放感は無かった。

 終わってしまえば、という奴なのだろう。

 だが、リーダー職からの解放は、私に頭痛と疲労という形で現れた。

 張り詰めていた糸が切れ、それまで積み重なった疲労がどっときたのだ。

 瞼を閉じれば気持ちよく眠ることができる……ということもなく、ブルーライトを長時間浴びた私の双眸では気持ちのいい睡眠は摂れなかった。

 1か月目からずっとずっと、どこかを低空飛空している。

 上がることはない、低いところを。

 でも、大声を上げて助けを求めるほどの辛さでは無かった。十分に我慢できる辛さだった。

 とはいえ、辛い物は辛い。

 そう言えば最近知った言葉がある。

 茹でガエルの法則だ。緩やかに悪い方向に向かっていけば、当事者は気付かない、というものだ。

 我慢できる辛さなら我慢してそのまま過ごしてしまう。茹でガエルとの違いはたった一つ。死ぬまで茹でられるのがカエルなら、私は死なない辛さで茹でられながらも生かされ続けるのだ。

 

 なにはともあれ。そんな苦しい生活が終わりを告げた。

 

 そんな、振り返り。

 本当は新しい物件とかガスの規格とか喋りたいけど眠すぎるから断念。