兎は地球で床に就く

システムエンジニア予定の無職ニートブログ

忘れないよう書き記す、本当にただの備忘録

 こんばんは。Indexです。

 本日はマジのガチで備忘録的存在です。

 忘れないように書き記す、人生を生きる上での金言を書いていきます。

 

憧れで始めて、殺意で続けろ

 これはバーグハンバーグバーグの永田さんの言葉らしいです。確かお悩み相談の動画内で言っていたような気がします。

 この憧れで始めて、という部分は分かりやすいです。テレビで見たAKBに憧れてアイドルを目指すとか、チェンソーマンを読んで漫画家を目指すとか、そういったことです。

 けれど、強い憧れを抱いたとしても、継続するのは難しいです。熱意とかやる気というのは目減りするものですし、新たに燃料を注ぎ続けるには焚き木を探さなければなりません。しかし、その焚き木は何なのか。熱意の為の材料とは何なのか。それは非常に探すのが困難なものです。

 だからこそ殺意なんですね。私の解釈だと、やる気とか熱意とか、そう言った物は全て継続に関係ない。むしろ考えるな!って解釈です。やる気とか熱意に頼るからだめなんです。人を殺すつもりで活動を続けるんです。なんというか、やる気とか熱意って言う存在は、なまじ知っているだけあって身近過ぎるんです。身近過ぎるからこそ、手に入れにくいと分かっていても求めてしまう。けれど、殺意って身近には無いですよね。身近には無いからこそ、殺意はずっと持ち続けられると思うんです。

 それに、継続する理由をやる気とか熱意という自らの内に求めるのではなく、殺意という他人に向けている部分も重要ですね。

 私はアイドルになってファンを殺してやる。私は漫画家になって読者を殺してやる。明確な殺意の矛先を向ける先があれば、あとはそこに進んでいくだけです。

 だからこそ、「殺意で続けろ」という言葉は響きますね。心と脳内に留めておきましょう。

 

趣味では無く、仕事のように評価されると考える

 これはつい最近とある人生相談スレにあった言葉です。

 相談内容は「SSを書くのが趣味だけど、アイディアだけでなかなか完結まで漕ぎつけない。どうすれば物語を終わらせられるようになるのか」というものでした。

 それに対し、「SS書きを趣味として捉えるのではなく、仕事のように評価されるものと考えてみてはどうでしょうか」という解答が出ました。

 私はこの解答を見て驚きました。

 なぜなら、趣味を仕事にするのはやめろ、とは、あらゆる場所で聞く言葉ですよね。趣味を仕事にしてしまえば、お金の問題とか人間関係、納期や諸々で大好きであった趣味が嫌いになってしまうから。それが一般的な認識であったと思います。

 ですが敢えて、完結する物語を書くために、趣味を仕事として捉えてみてはどうか、という逆転の発想が出たんですよ。

 私はこれを見て、確かに……と唸りました。

 趣味を仕事として捉える。私の解釈だと、実際に趣味を仕事にするわけじゃありません。「趣味を仕事の”意識”で行う」ってことです。

 意識だけを仕事にするんです。すると、仕事なので納期までに間に合うようにスケジュールを調整しなきゃいけませんし、責任も生まれます。これは趣味では無く仕事なのだから完結させなければならない、という使命感が生まれます。けれど、実際に仕事になるわけでは無いので、たとえ決めていた納期がズレたとしても問題はありません。大事なのは趣味を行う意識を変えることです。

 この逆転の発想に、私は惹かれました。

 

意識の切り替えを悪と捉えず、損得で考える

 これは私が人生相談スレで相談したことです。

相談内容は「仕事で失敗したり罵倒されると上手く気持ちが切り替えられません。どうすればすぐに切り替えられるようになるでしょうか」でした。

 これに対する解答は「気持ちを素早く切り替えることを悪と捉えないで、すぐに切り替えた方がいいのか、若しくはその気持ちを持ち続けるべきなのか。損得で考えてみよう」というものでした。

 私は気持ちの切り替えを素早く行うことが善だと考えていたので、これは目からウロコでした。普通、気持ちを素早く切り替えて次の物事に取り組むというのは美徳として数えられますよね。しかし、よくよく考えてみると、一度立ち止まって悩んで悩んで悩みまくるというのも重要なのではないでしょうか。

 その悩み続けるべきか。若しくは気持ちを切り替えて次に行くべきなのか。それを損得で考えるってのが重要なわけですね。

 今までの私は、自罰的な反省ばかりしていました。

「あの時ああしておけばよかった」「こんなことしなければよかった」「いつも自分はこうで嫌になる」etc.

 しかし、この悩みに関して、悩むことは利益になるのか。それとも損失になるのか。これを考えるのが重要です。悩むべきか、悩まないべきか。損得で線引きをしてしまえば幾分か気持ちが楽になると思います。

 今までは悩むべきか悩まないべきか、そういったフォルダ分けが一切できず、全てを同じ悩みとして捉えていたため身動きが取れなかったんだと思います。

 そういう意味で、意識の切り替えを損得で考えるのは重要だなぁ、と感じました。

 

 

 ここまで、三つの金言を紹介しました。たぶんもっとあるんでしょうけど、今のところ思いつくのはこの三つです。

 この三つに共通することって、考えてみるとあるんですよね。

 それは、物事をドライに観察するってことです。

 例えば、憧れで始めて殺意で続けろ、ってのは、私的に変換すると、やる気や熱意なんて無いんだから人を殺すつもりで続けろ、って変換されるんですよ。このやる気や熱意という抽象的で、縋るには余りにも不確定な要素なので考えない・排するって考え方がドライだと思います。しかし実際に、そういった抽象的・不確定な要素に身を任せるって危険だと思います。

 また、気持ちの切り替えを損得で考える、というのもドライであると感じます。気持ちの切り替えができないのは、ネガティブ思考だから。ネガティブにいつまでも自分が悪い、自分が悪い、と自罰的に責めてしまうから。けれど、そうやって縮こまっていても仕方がないんですね。俯いて下を向いていても何も変化しないんです。そういう時はドライに物事を捉え、それは悩んで利益になるのか、それとも損失になるのか、しっかりと線引きしなければならない、と捉えるんです。

 

 どうでしょう。どうやら人生を攻略する秘訣というのは、意外と物事をドライに考えるのが重要そうに思えてきませんか。私はなんだかそう思えてきました。

 ここで勘違いしてはいけないのが、ドライに考えているつもりで、実は全然ドライに考えていないってことです。

 あんまりドライってことに拘泥し続けることも、それはドライでは無いんです。

 

 なんかよく分かんなくなってきたので、ここらで思考を打ち切ります。なぜならドライのことを考えすぎて泥沼にはまったからです。これ以上ドライについて議論しても無意味、と損失として捉えたわけですね。

 

 というわけで皆々様。

 ここらで兎は床に就かせていただきます。

 すやぴっぴ!!