兎は地球で床に就く

システムエンジニア予定の無職ニートブログ

やがて君になる、最高過ぎた件について

 こんばんは。Indexです。

 やがて君になる、アニメを見た後、原作を買って最後まで読みました!

 端的に言い表すならば、『最高だった』、これに尽きます。

 

 どの辺が最高だったのか、それについて語っていきます。

 

理屈な恋愛観

 やがて君になる、は私の中では結構理屈っぽい作品だと思います。

 『好き』についてそれぞれの価値観を持ってるんですよ。

 

沙弥香「好き……って今のままのあなたじゃなきゃ嫌だってことではないけど、どんなあなたになってもいいってことでもないと思う。だからなんだろう……あなたは私の好きなあなたでいてくれるだろうっていう、『信頼の言葉』かな」

 

侑「『好き』って誰かを特別に思う気持ちって、ある日どこかから降ってくるようなものだと思ってたんです。自分ではどうしようもないような、出処のわからない大きな気持ち。でも私の『好き』はたぶんそうじゃなくて、自分で選んで手を伸ばすものだったよ。わたしこれまでもう何度も選んできました。傍にいようって、この人を変えたいって。先輩がたくさん好きって言ってくれたから選べたんです。わたしは先輩がわたしの特別だって決めました七海先輩、好きです」

 

 燈子への想いを語る沙弥香と侑。沙弥香の好きは『信頼の好き』。侑の好きは『選択の好き』。この辺の二つ価値観の違いがいいですね。まぁ、沙弥香の好きの上に侑の好きがあるようにも見えるんですけど。別に二つが相反する価値観ってわけでもないんですが。

 それにしても、沙弥香の好きの価値観を聞いたことで、燈子は『好きって変わってもいいんだ』と侑への気持ちを再確認するのはちょっと残酷ですよね。沙弥香が報われないなぁ……と感じつつ、もし後日談があれば知らない人と付き合っているんだろうなぁ、と思ったら本当に付き合ってた。

 

 Wikipediaに書いてあったんですが、どうやら作者の鳰先生は

『同性愛を題材とした恋愛作品には、相手を好きになる理由や葛藤、あるいは理屈をねじ伏せてしまうような強い関係性が描かれていることが多く惹かれていった』

 という信条を持っているっぽく、恋愛というあやふやな物に対し割と理屈っぽい視点を持ってるのかな、とも思います。私自身、ある程度の理屈と論理性を内包していないと「なんで?」となっちゃう人間なので、非常に共感できる価値観だと思います。その一方で、恋する感情には理屈を置いてけぼりにしてしまう凄まじいパワーがあるとも思ってます。まぁ『好きだからしょうがないよね』と力技で理屈を突破する展開にしてはいけないと思うんですが、そこはまぁ恋は盲目って奴ですよね(この一文は割と感覚的なので数年後には自分では何書いてんだコイツ状態になる可能性もある)。

 

もしIFがあるのなら

 アニメを見た後、私は感想とその後の展開予想を書き殴りました。その展開は予想は以下の通りです。

 

・燈子が自分を許すようになるファクターは演劇の大成功

・燈子が本当に自分を許せるようになるには、恐らく父親の存在が切っ掛けだろう

・侑は燈子にとって必要ない存在になるので、失恋して自分の気持ちを押し殺す

 

 この三つです。

 ぜ~んぶ外れで~す!ピースピース!!

 燈子は演劇が成功したことで、自分は演じなくてもみんなに受け入れられるんだ、と気付きます。それは、5巻で侑が言ったように、今の燈子に向ける信頼とは、姉のように頑張ってきた燈子によるものかもしれないが、姉ではなく燈子の頑張りに間違いなく、みんなの思いは燈子宛てである、ということです。だから、既に燈子は自分を許せる下地が整っていたんですね。父親がどうとか全く関係なかったです。

 元々の燈子は怖がりで臆病な人間でした。姉という隠れ蓑を失った燈子にとって、姉を演じるというのは、新たな隠れ蓑を作る行為だったのではないでしょうか?燈子は本当の自分は怖がりで臆病なままだと思っていたようですが、姉に近づくために懸命に努力した結果、彼女は大きく変わったのだと思います。みんなから期待を背負えるほどには。他人に作った心の壁とは取り払えるようなものではなく、相手が侵入できなければ、自分も相手に触れることができません。自ら進んで他人に触れ合いにいくしかないんだなぁ、と抽象的なことを思ったりしました。

 

 んで、侑は燈子にとって必要ない存在になるって下りはまぁ、その通りだったんですが、普通に「好きです」って告白してました。それは、『あなたのことが好きなので付き合ってください』という意味ではなく『あなたのことが好きなので、あなたの理想の私にはなれません』という意味の告白です。なので、失恋して気持ちを押し殺す、なんて真似はしませんでした。燈子にとっての理想の自分でいられないことに罪悪感を覚えるようになったのか、それとも、自分の気持ちに蓋をし続けることが不可能になったのか。そのどちらも正しいのかもしれません。

 

 で、まぁ。私の拙い展開予想は見事に裏切られたんですが、ついでに言うと、燈子は姉への罪悪感を覚えているとかって前の記事で言ったんですが、そんなことは無かったです。燈子が姉を演じるのは、『みんなから求められた』からであり、『私が殺してしまったも同然だから』では無かったです。繰り返し思い出し、夢にまで見るようになったのはただ単純に、『あの時私が負けていれば、姉は死なずに済んだのだろうか』という”もし”の話だけです。後悔とか罪悪感ではなく、ただただ終わらない”もし”を考えているだけなんですね。

 私は自罰的な傾向のある人間なので、すぐに罪とか罰とか罪悪感とか後悔とか、そういうのを考えるんですが、意外とただ単純な”もし”もあるんだなぁ、とタメになりました。

 

 んで、ようやくサブタイトルのIFについての話なんですが、『もし本当に、燈子にとって侑が不必要な存在になってしまったら/侑が好きになってしまったので、燈子から好意が消えてしまったら』、どうなるんだろうって思いました。

 二人で手漕ぎボートを漕いでいる最中、本当に沙弥香と付き合うんじゃね?と考えていた自分もいました。だから、このIFもあり得たらどうなってたんだろうなぁ、と。

 侑は失恋し、槙くんみたいな外野から「素晴らしいね~」と観測するだけの立場になるのか(自分の好きには気が付かないフリをしながら)、それとも新しい恋を見つけるために好きでも無い人と体を重ねるようになるのか。

 どうなるんだ……。

 

怖いくらい論理的で最高な作品

 総括すると、怖いくらい論理的で最高な作品、という評価に落ち着きます。マジで怖いくらい論理的で怖いです(重複表現)。

 でもだからこそ、私は惹かれたんだろうなぁ、と思います。また読み返すと思うので、4月からの新居にも持っていくと思います。

 

 というわけで皆々様。

 ここらで兎は床に就かせていただきます。

 今日は虹5thも見ます。