兎は地球で床に就く

システムエンジニア予定の無職ニートブログ

SHIROBAKO劇場版を見た。フィクションの存在意義とは

 こんばんは。Indexです。

 本日はSHIROBAKOの劇場版の感想を書いていきます。

 劇場版は5月7日までYouTubeで無料なのでこれを機に見て見るのもありですよ。

 

見れば見るほどに発見のあるアニメ

 SHIROBAKOの劇場版は、これで4回目の視聴だと思います。一度目は劇場で見て、二度目からはサブスクで見ました。

 今回の4回目はようつべで視聴しました。そして、回数を重ねれば重ねるほど発見のあるアニメです。私の理解力が乏しいというのは確かなんですが、その時、その状況で感じる物は全く違うんですね。

 子供の時見たアニメが、大人の今見た時、全く同じ感想を抱かないということです。

 とはいえ、回数を重ねても衰えない面白さがある、という点は同じですね。

 

 特にラスト、公開3週間前に劇場アニメの最後を変え、実際にできたクライマックスのシーンは最高ですね。

 何度見ても、あのシーンで泣いちゃうんですよね。SIVA自体はクライマックスしか見てないというのに、どうしてか涙が流れるんです。

 その理由は、今のところは本気のアニメに泣かされた、って点だと思います。

 自らを犠牲にして同じ目的・夢を持つ仲間に希望を託し、敵地に残って時間を稼ぐというシーン。それを迫力のある作画と盛り上がる音楽、それを映すカメラワーク、その本気度に泣かされたんだと思います。

 加えて言えば、あのラストと武蔵野アニメーションの姿を無意識の内に重ねているからでしょうか。

 タイムヒポポタマス制作中止によって下り坂を転げ落ちるように落ちぶれた武蔵野アニメーション。これは一度敗北したと捉えられます。けれど、それでもと立ち上がって前に前に進む姿、これがSIVAと重なったのかもしれません。

 

 ちなみに新たな発見って言うのはげ~ぺ~う~関連の話です。

 散々偉そうなこと言ってなんなんですが、どうしてげ~ぺ~う~が共同制作に名を連ねることを諦めたのか、その理由を理解していませんでした。

 絵コンテの約束を遅れさせ、それが常軌を逸していたため契約違反だったからなんですね。しっかりと契約書の第12条に記載されていたこと、そしてボイスレコーダーに記録されていたことが決定打となった……という。

 まあ、一言で言えば私の理解力が足りなかっただけです。

 とはいえ、悪役のげ~ぺ~う~が成敗された、という抽象的な理解さえできていれば話の内容は分かるんですがね。

 

心に残った台詞

 心に残った台詞を書いていきます。二つあります。

 

大輔「面倒くさいこととか腹立つこととか色々あるけど、やりたいことがあるならとにかくなんかじたばたしないとな。そうしないと何も変わらないし何も始まらない、と思ってる」

 

 まず、元々武蔵野アニメーションで働いていた大ちゃんの台詞です。

 言っていることはどこにでも転がっているようないい言葉なんですが、作中内の宮森にとっては響く言葉であったでしょう。

 言葉とは、内容は勿論大事なんですが、それを言う対象・状況に非常に左右されるんだなぁ、と感じました。

 また、内容自体も私に響きました。

 やりたいことがあるなら、足掻かなければ何も始まらない。

 耳が痛い話ですね。本当に。

 

元・社長「自分は何を作りたいのか。作ることでどうしたいのか。それがないと遅かれ早かれ挫折する」

元・社長「自信と自負を持ってアニメを作って欲しい。熱意と愛情とや野心に満ちた自分を成長させ、見る者を楽しませるそんなアニメを。今を生きる君たちが未踏の大地に足を踏み出し、その姿を見せることでさらに若い人たちの道しるべになるような。そんな作品を僕は期待しているよ」

元・社長「立ち止まって後ろを振り返っている場合じゃない。前に前に、君たちは前に進まなきゃ」

 

 これは宮森を叱咤する為に言った武蔵野アニメーションの元・社長の発言です。

 仕事における厳しい含蓄のある言葉ですね。好きなこと・やりたいことだけでは続かない、挫折してしまう。継続するにはもっと……こう、なんて言うんでしょうね。野心……ではあるんですが、野心の超絶デカい版みたいなのが必要、みたいなことを言っています。

 それを表現する熟語を思いつかないので比喩で説明します。

 自分の命と他人の命。大切なのは自分の命ですよね。でも、苦楽を共にした仲間とか愛情を注ぐ恋人ならどうでしょう。自分の命の価値と他人の命の価値が逆転することも理屈としては理解できますよね。

 つまり、自分以上に大切なことを外に作らないとどこかで潰れちゃうんですよ。

 ん?いまいち自分でも納得できてない表現でした。すみません。

 これは元・社長の言葉通り、額面通り受け取るのが正解ですね。はい。

 

 何かやりたいことがあるけれど、未だに行動に移せない人は大ちゃんの言葉が。

 やりたいことがあるけど現実の圧力に屈しそうな人には元・社長の言葉が。

 響くんじゃないかなぁ、と思いました。

 

 ちなみに、やりたいことをやっていない私になんで元・社長の言葉が心に残っているのかと言うと、それが宮森の新しい行動理念というか、動機付けになっているからですね。

 この言葉が無ければ、プロデューサーとしてラストの展開を変更しようと決意できなかったと思います。そうした……説得力?があったので響いたんだと思います。

 

だから、フィクションを作るのです

 結局のところ、なんでアニメって嘘を作るのでしょうか?

 別にアニメじゃなくてもいいです。漫画、小説、映画でもなんでもいいんです。

 娯楽の創作に心血を注ぐ意味って何なんでしょう?

 娯楽は別に無くても生きていけます。お金を稼ぎ、食べ物を買って寝具を買って、寝てまたお金を稼いで。それだけで人は生きていけるんです。

 じゃあ無くてもいいものを、存在しない虚構を作る意味って何なんでしょうか?

 

 SHIROBAKOを見た後、久々に思い出しました。

 私にとってのフィクションの存在意義を。

 

フィクションとは、こうだったらいいな、を創ることです

 

 生きていく、ただそれだけで人は苦しむものです。仏教風に言えば、生老病死って奴です。生まれること、老いること、病むこと、死ぬこと。この世の全ては苦しみでできています。

 だからこそ、「こうだったらいいなぁ」って思いが生まれるんです。

 どうにもならない現実の問題ですが、フィクション作品の中なら解決できるんです。

 これこそが、フィクションの存在意義だと思います。

 

 最近、ちょっと悩んでいたことがありまして。

 とあるSSを考えていたんですが、現実の圧力に作品が負けそうになってました。

 でも、フィクションなのだからそこは嘘でも問題を解決しないといけないよな、と思うようになりました。

 

 私の心の根底にはバッドエンドはハッピーエンドの通過点に過ぎない、という考えがあります。バッドエンドはハッピーエンドの前座に過ぎないのだから、バッドエンドで終わらせるのは間違ってるって考え方です。

 フィクション作品はどうにもならない現実の問題を解決できる場所なのだから、ハッピーエンドを目指さなければならないんです。

 私の中で何かが繋がった気がします。

 フィクションを創る意味。それを忘れないようにしたいですね。

 

 

 

 私は社会人に再び戻ってきた元・ニートです。

 今の私がSHIROBAKOを見たら、仕事をしている人を見て「あ~、辛いよね。でも宮森たちも頑張ってるし、俺も頑張らないとなぁ!」ってなるのかな?と思ったんですが、そんなことは無かったです。

 宮森と私では社会人という肩書きしか同じじゃないです。

 好きなことを仕事にしていませんし、好きだからこそ続ける苦しみも知りませんし、何よりも自分以外の人と協力して一つの物を作った経験もありません。

 宮森達、彼女達が目が眩むほどに眩しいです。

 

 というわけで皆々様。

 ここらで兎は床に就かせていただきます。

 それはそうと、残った物はあります。