こんばんは。InDexです。
本日は友人と一緒にすずめの戸締まりを見に行ってきました。
主題歌の”すずめ”がやけに耳に残るなぁ、とは思っていたので気になる作品でもありました。
それに新海誠の作品ですしね。
秒速5cmメートル。雲の向こう、約束の場所。星を追う子供。言の葉の庭。君の名は。天気の子。
私が今までに見た新海作品はこんな感じです。中でも世界観が一番好きなのは雲の向こう、約束の場所です。ストーリ的に好きなのは天気の子ですね。既存の正論をぶっ壊す感じで新鮮でした。
今回のすずめの戸締まりではどんな美麗な風景を見せてくれるのか。どんなメッセージ性を盛り込んでくるのか。どんな性癖を見せてくれるのか……。
では感想に移っていきましょう。
つまるところ、どんな作品なん?
つまるところ。これはすずめちゃんがお母さんにお別れを言うお話だと思っています。
すずめちゃんは4歳の頃、大震災の影響でお母さんを失っています。
4歳のすずめちゃんはお母さんを失ったことを理解できず、すれ違う人に「お母さん知りませんか?」と尋ねます。しかしすれ違う人は「可哀想に」と口々に言いお母さんの居場所を言ってはくれません。
お母さんを探すために辺りを捜索しているととある扉を見つけます。
その扉の中の世界はとても綺麗で、思わず飛び込んでしまいました。
扉の先の美麗な世界とは、”常世”。現世とは別の世界であり、現世が今を生きる生者の世界であるならば、常世は亡くなった者の世界です。
常世でお母さんを探すすずめちゃん。しかし、どれだけ歩いてもお母さんは見つかりません。
見つからず悲嘆に暮れている所、とある女性に出会います。それはお母さんに似た人でした。
そのお母さんに似た女性とは、高校生になったすずめちゃんでした。未来から来たすずめちゃんはお母さんの形見である一本足のない椅子を4歳の頃のすずめちゃんに与えます。
これからどんな悲しいことがあっても、あなたは大きくなれる。あなたにはあなたを想ってくれる温かい人がいる。だから安心して。
そう、高校生の頃のすずめちゃんは語り掛けます。
そして4歳のすずめちゃんは一本足のない椅子を抱きしめ現世に帰っていきます。
高校生のすずめちゃんは4歳のすずめちゃんを見送り、一つのことを理解します。
あの時、朧気ながら覚えていた昔の記憶。幼少の頃出会った人は草太でもなく、お母さんでもなく、自分自身であったのだと。
そして本当の意味で高校生の頃のすずめちゃんは理解します。お母さんはもう、この世界にはいないのだと。
しかし、自分はこんなにも大きくなった。成長した。
高校生のすずめちゃんは常世から現世に戻り、こちらとあちらを繋ぐ扉の戸締まりをします。
いってきます。そう告げ、お母さんと別れ、そして明日へと、未来へと歩き出すのでした。
この辺が本作の主軸となるシナリオかなぁ、と感じます。
ミミズによる大震災とか、草太との恋愛とか、叔母さんとの和解とか、そういったサイドなストーリーはあると思いますが、主軸はすずめちゃんとお母さんとの別れだと思います。
加えて言うなら、すずめちゃんの苗字です。すずめちゃんは”岩戸すずめ”がフルネームです。
岩戸と言えば天岩戸ですね。閉じこもった神様の外で楽しそうにどんちゃん騒ぎして扉を開けるアレです。
なぜすずめちゃんは岩戸に閉じこもってしまったのか。そもそも岩戸に封じ込めていたのはなんだったのか。
それはお母さんの死です。お母さんは亡くなっていると気づいていながら、それをまだ自覚できていない。
その岩戸に封じ込めた母親の死という記憶を開け放ち、受け入れる。だから岩戸すずめという名前なのではないでしょうか。
だいじんとは?さだいじんとは?
本作には要石である存在として、”だいじん”と”さだいじん”というキャラクターが出てきます。両方とも猫の形を取っていますが、その実態は後ろ戸の封印に必要な要石です。
ちなみに、この要石とはその役目を他の人に譲渡できるそうで、草太も椅子に変化させられ要石の役目を背負わされていました。
つまり、要石とは”石”という名前は付いていますが、生き物でもあるわけです。
うろ覚えなんですけど、この要石に神が宿って効力を発揮するらしいです。
と、いうことはですよ。
無機物ではなく、生き物を箱にするのが要石であるならば、だいじんとさだいじんにも元となった生物がいるのでは?と考えました。
では、どんな生物が要石に?いや、生贄となったのだろうか?と考えました。
私的にはだいじんの元となったのはすずめちゃんの母親であり、さだいじんの元となったのはすずめちゃんの父親ではないか、と考察しています。
それは何故か。
そもそも前提条件として、母親がどういった亡くなり方をしたのか、その部分が詳細に作中で描かれていないんですよ。
震災の日に行方不明になったので普通に津波に巻き込まれたとか(確か母親の名前も津波だったような?)、瓦礫の下敷きになったとか、色々死因は考えられるんですが、作中では明言されていないんです(たぶん)。
ここまで意図的に死因を隠すということは、母親は普通の亡くなり方をしたのではない、と考えました。
そうなると自分が要石となり、震災を何とか食い止め、すずめの命を延命させたのではないかと考えました。
この辺はだいじんの行動にも見て取れるのでは?とも考えています。
だいじんは草太を要石に変化させます。まず、なぜ草太を要石に変える必要があったのか?これについて考えていきます。
だいじんは中盤まで意図的に後ろ戸を開く犯人だと思われていましたが、終盤ですずめ達を開いた後ろ戸に案内していることが判明します。つまり、だいじんはすずめの味方な訳です。
味方であるならばなぜ、草太を要石にしたのか?
これは、娘に悪い虫が付いたのでその対処をしたのでは?と考えています。
だいじんが母親であると仮定すると、ぽっと出の草太は初対面であるにも関わらずすずめの家に赴いた悪い虫なのです。娘想いの母親ならばどうにか排除しようと考えるでしょう。
だからだいじんは草太を要石にしてすずめから排除した訳ですね。
とはいえ。要石となった生物はその身に神を宿すそうなので、だいじん=母親ではなく、母親の人格がやや反映された神様なんでしょう。
では、ここで一つの疑問が生じます。なぜ母親は要石のことを知っていたのか。
通常であれば、要石のことを知っているのは閉じ師かそれに準ずる役割を担っている人でしょう。しかしすずめはそんなことは一切知りませんでした。
ではなぜ母親は要石のことを知っていたのか。
これは完全に憶測・妄想になってしまう上に状況証拠でしかないんですが、すずめの住んでいる場所に起因していると考えます。
すずめは最初九州の田舎に住んでいました。しかし、元々住んでいた実家は東北地方にありました。
震災の被害を受けたからと言って東北から九州までわざわざ飛ぶでしょうか?いいところ東北から関東、中部くらいが現実的なのではないでしょうか。(私の知り合いで東北から沖縄に震災の影響で移り住んだ人がいるのであんまり筋は通っていないんですが)
それに、東北から九州に移り住むのであれば、流石に何かしら説明がされるのではないでしょうか。そう考えるのは流石に横暴過ぎますかね。
この辺が私の考察です。
そして次に考えるのは父親の存在です。
本作では母親の存在は何度も仄めかされるんですが、父親の存在は全くと言っていい程説明されません。正直父親の存在に関しては意図的に情報を絞っているでしょう。
父親は母親とは別の地方の要石近くに住んでいたのでは?と考察、もとい妄想しています。
というか。父親は閉じ師だったのでは?とも考えました。それならば一つの場所に定住せず、日本中を渡り歩いているのですずめとは住めない。そういうことなのではないでしょうか。
他にだいじん、さだいじん、両親説の裏付けとなる理由として、だいじんとさだいじんの体躯の差が挙げられます。
だいじんは白い毛並みの小さな猫です。対照的にさだいじんは黒い毛並みの大きな猫です。だいじんが小さいのは女性だからであり、さだいじんが大きいのは男性だからなのではないでしょうか。
加えて言うならば、終盤ミミズと戦っていたのはさだいじんです。戦いとなって矢面に立つのは女性より男性でしょう。そしてすずめを身を挺して守り抜く姿は母親を想起させます。その辺がだいじん達が母親等ではないかと考える論拠になります。
椅子はなぜ三本足なのか?
これに関してはよく分かんないです。
何かしらの比喩・メタファー表現があるのかもしれませんが、それっぽい理由が思いつかなかったです。
母親を失っている=一本足ない。とか。
母親の死を自覚できていない、気づこうとしない、瑕疵=一本足ない。とか。
すずめちゃんの心情の表現なのかなぁ?と思いました。
ですがどれもしっくりこないので震災の影響によって椅子が破損してしまい、だから三本足の椅子となっている。
これなんじゃないですかね。
そもそもすずめちゃんは大震災のこと自体忘れているような描写があったので(海の見える平原を見て何か驚いた表情をしていた)その辺が正しいのかなぁ、と思います。
なぜさだいじんは叔母さんに本音を言わせたのか?
正直ここが一番の不可解ポイントです。
中盤、環叔母さんがすずめちゃんに対し「私の十年返してよ!!」とか「コブ付きだから婚活が上手くいかない!!」とか、すずめによって人生設計が狂わされたことを叫びます。
この本音の吐露はどうやらさだいじんによる精神操作が原因らしいのですが、発言自体に嘘は無かったそうです。嘘ではないが、前述した不満以外にも素晴らしいことはあったとフォローされています。
ではなぜ、さだいじんは叔母さんに本音を言わせたのか。
……。
なんで?
さだいじんが父親の人格を宿した神と仮定してもよく分かりません。
まぁ、ストーリー序盤から叔母さんの過保護っぷりとか、色々描写されていたのでそういった”姉の娘”と”母親の妹”というやや歪な家族関係を解決するために必要だったピースなんでしょうけど、だとしてもなんでさだいじんが?となります。
新海誠の性癖
さて。かたっ苦しい話はこの辺で終わりにして。
今回の性癖は……?
子供用の椅子になって女子高生に座られたり踏み台にされたい!!
ですね!!
母親の形見とか、そういった設定は無視して子供用の椅子ってのがポイントですね。
通常の椅子より子供用の椅子の方がかかる体重は上でしょう。
加えて言うならば、子供用の椅子であれば女子高生のお尻やおみ足を全身で感じられるんです。
大人が座れるような椅子であれば、お尻の大きさに余裕が生まれるでしょう。しかし子供用の椅子であるならば、お尻がはみ出るくらい全身で感じられるのです。
へへ。新海誠。よく自身の性癖に向き合ってやがるぜ……。
こうして思い返してみると、私にも理解できます。
特に本棚の上にある段ボールを取るために踏み台にされるシーン。これが一番いいですね。
特に椅子に乗りながらその場で踏み踏みするシーンなんて最高ですね。無邪気な動作でありながら、踏み踏みされている椅子側は興奮するでしょう。
それと、靴を失って血まみれになった足を風呂場で洗っているシーン。非常にエロスを感じました。
血を洗い流しているだけなのになぜエロスを感じるのか……。若干のリョナ趣味があるからなんでしょうか……。いや、リョナと既存の概念にすぐ当てはめるのはよくない。
こうした性癖の自己理解はもう少し慎重に進めなければなりません。
そうですよね。新海誠監督。
総括
まとめに入ると、面白かったです。
たぶん数年後とかもう一回見ると思います。
草太とすずめちゃんの二人の恋愛事情に関しては少し描写が足りないかなぁ?とは思いましたが、それでも他の場所でいい場面がたくさんあったので問題ありませんね。
神木隆之介さんも出ていましたし(謎賛美)。
次回作にも期待ですね。YEAH。
というわけで皆々様。
ここらで兎は床に就かせていただきます。
明日は面接対策じゃあ。
なぜ椅子一本無い?なぜさだいじんはおばさんを操ったのか。